冒険者
- カテゴリ:題材(身分・職業)
- 最終改訂:2011/11/11
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◇「冒険者」 |
冒険者(ぼうけんしゃ)は、冒険を行う者、また冒険を生業とする者。CardWirthにおいて、PCたちは「冒険者」であるとされている。
各種RPGにおける「冒険者」
多くのテーブルトークRPGにおいて、プレイヤーズ・キャラクター(PC)は職業的な冒険者として設定されている。
TRPGが個々のクエストのプレイであるという構造上、長大なストーリーとともに世界を救う「英雄」ではなく、生存術という特殊な技術に長けた等身大のキャラクターということになる。
「冒険者」という職業について扱ったゲームは多いが、その状況はまちまちである。ある種の免許制であったりする場合もあれば、自称すれば事足りるものもある。これら多様な「冒険者」イメージは、CardWirthにおいても作者ごとの多様な設定に反映されている。
CardWirthにおける「冒険者」
groupAskによって「中世ファンタジー世界」についての設定が示されていないのと同様、「冒険者」の生活の細部については明示的に示されていることは少ない。このため、下記に記すようないくかの解釈が可能な部分が存在しており、作者がそれぞれの解釈で物語を組み立てている。
冒険者たちは、「冒険者の宿」を通して「依頼」を受け、その報酬を収入としている。そのほか、遺跡等を探索して収入を得ているようだ。
定義をめぐるいくつかの解釈
そもそも、「冒険者」とは何だろうか。「冒険者」として「冒険者稼業」を行うには、資格や免許、条件といったものが必要だろうか。これは、後述する「冒険者」と「冒険者の宿」の関係にも関連する。
「冒険者」に「資格」は要らない。
「資格」のようなものは不要であり、多くの人々から「冒険者」と認められればそれでよい、というのが一つの解釈である。「冒険」とされることをする人、あるいは「冒険者稼業」に従事する人が「冒険者」である。
「冒険者」と自称したらそれでよいかもしれない。
「冒険者」には許認可が必要である。
「冒険者ギルド」や「冒険者の宿」、あるいは国家などの組織に所属したり、届出(登録)を行ったりすることで、冒険者稼業を営む資格が発生する、というのも一つの解釈である。
この解釈では、冒険者資格が無いのに冒険業を行う「もぐりの冒険者」が存在することになる。
「冒険者の宿」と「冒険者」の関係
宿の亭主が鎮座し、冒険の物語の発端となる「冒険者の宿」。これは一体いかなる存在であろうか。
- 「宿」は、この都市の冒険者業の同業団体(統制団体)たる「冒険者ギルド」そのものである。
というのも一つの解釈である。
- 「宿」は、この都市の冒険者の連合体たる「冒険者ギルド」の一つである。
- 「宿」は、公的機関から公認を受けた依頼仲介業者である。
- 「宿」には冒険者が多く宿泊し、かれらを頼りに依頼人も訪れるが、基本的にただの宿屋である。
- 「宿」は一種の「会社」であり、冒険者は経営者たる「亭主」から給料をもらう一種の「従業員」である。
「冒険者」の地位や社会的な評価
一種の「英雄」
「冒険者」は、多くの人にとって憧れの対象である、というのが一つの解釈である。
磨きぬかれた剣や目も覚める魔法を武器とし、何者にも縛られぬ自由を謳歌し、困っている人を助ける義勇の人。勇気と誇りを供として、危険な遺跡に潜入して宝物を持ち帰り、おぞましい妖魔を退治し、人類世界を守る人々。このような英雄たちの冒険譚は、歌や物語として語り継がれよう。
「俺たちは冒険者だから」という言葉は、名誉を重んじる英雄だからこそ吐ける言葉である。冒険者として名を挙げれば、引く手あまたである。王侯貴族に召抱えられるかもしれないし、婿に、嫁にと求められるかもしれない。
一種の「便利屋」
「冒険者」は、多くの人々から便利屋として利用される、というのも一つの解釈である。この解釈では、「冒険者稼業」は「普通の(まともな)職業」ということになる。「生存術」と総称されるいくらか特殊な技能を持ってはいるものの普通の市民であり、よき隣人であるかもしれないし、評判のよしあしもあるだろう。
別に本業を持っている人が「冒険者稼業」を行う時に「冒険者」になる、という解釈もできる。中には「冒険者稼業」専業の人もあるかもしれない。「稼業」である以上は、報酬に関する交渉もシビアになるだろう。
一種の「やくざ」
「冒険者」は、多くの人々から疎まれ唾棄される対象である、というのも一つの解釈である。
ぎらついた剣やおそろしい魔法を武器とし、昼日中から酒をかっ喰らっては、困っている人の弱みに付け込んで報酬を巻き上げる連中。あるいはいくらかの銀貨と引き換えに命を投げ出し、遺跡にもぐりこんでは宝物を盗み出したり、おぞましい妖魔と殺し合いを演じたりする連中。このような手合いが、まともな人間であるだろうか。
正業を営む「普通の市民」からは白眼視を受け、ときには畏怖される。この解釈をとった場合、冒険者になるような人間はよほどワケ有りであり、「まともな社会」への復帰にはさまざまな困難が伴う、ということになる。盗賊ギルドとの親和性は高いかもしれない。
とはいえ、「やくざ映画」というジャンルがあるように、力と度胸で現実をねじ伏せる「英雄」としての要素もある解釈である。実際の中世では洋の東西を問わず、多くの職能集団は「自力救済」を行っていたのである。ある意味で「やくざ」は中世のギルドの名残りを留めていると言える。
一時期、冒険者を白眼視の対象とする解釈が流行したことがある。一部の作品に、冒険者を遠巻きにしたり、怖がられたりする描写があるのはそのためである。英雄的冒険者観とヤクザ的冒険者観の混乱に対する対処の一つとして登場したのが「悪役クーポン」である。