批評(ひひょう)は本来、ある作品に対する自らの評価・感想・指摘を表現する行為。ただし、CardWirth界隈では「批評」の定義が使用者によってまちまちであり、注意が必要である。シナリオに対する「批評」の是非については紛擾が過去何度か生じているが、その過程では「批判的評価」「否定的評価」の意味合いで「批評」という言葉が用いられたことが多く、このためこの語に否定的価値判断が付与されていることもある。
アマチュアによる創作と批評の問題
CardWirthによる表現者は、シナリオ制作者・素材制作者ともに基本的に「アマチュア」である。趣味として「表現したいもの」を創作し、「同好の士」を想定対象として発表しているにすぎない。業として創作・批評を行う文筆家・映像作家・研究者・評論家とは異なり、他人から(否定的な)評価や指摘を受けることに慣れているとは限らない。作品評価を作者の人格評価ととらえ、否定的な作品評価に過敏な反応を示したり、創作意欲を挫滅させられたりする作者もいる。
「批評」もまた、本来は他人の創作物の評価を言語化して世に問うという、厳しい創作行為である。CardWirth界隈の「批評」者たちが、批評対象に求めていたのと同程度の創作者としての自覚を持っていたかどうかを考えると、かれらの多くも「アマチュア」に過ぎなかったと言える。
最近ではCardWirthコミュニティ自体が分散化・小規模化し、強力な中心を持たなくなったこともあり、広範囲を巻き込むような紛擾は発生していない。ただし、シナリオに対する感想の表現、ことに否定的な感想や欠点の指摘をめぐる問題はつねに存在している。掲示板などにおける個人的・局所的に感情的な衝突はなお発生しうる(発言者が責任を負わない性格が強い匿名掲示板でこの危険性は高いが、匿名でも誠実な記述はあり、記名でも無責任な記述はある)。
なお、アマチュアによる創作物に対するアマチュア「批評」問題はCardWirthコミュニティだけの特殊性というわけではない。作品への感想や好悪の情の表現のあり方に関する問題は、「RPGツクール」界隈、イラスト投稿系掲示板、ブログ、動画投稿サイトなど、創作を伴うネットコミュニティに共通する問題である。
CardWirth「批評」・感想史
草創期
CardWirthでユーザーによるシナリオが公開されるようになったのは1998年9月であり、当時はgroupAskの公式サイト《GroupAsk Homepage》内の紹介ページに手作業で掲載されていた。このころはユーザーから投稿されたシナリオにgroupAskのお三方それぞれからのコメントが付けられていた(Askからの一言)。一部は現存する「旧ギルド」で確認できるが、シナリオ投稿量の増加により行われなくなった。
1998年10月、《Adventurer's GUILD》が開設された際に「シナリオ投票システム」が設置されたが、技術的にいくつかの問題が浮上したほか、シナリオを評価することの是非が問題となり、廃止された。この一件を「第零次批評論争」と位置づける者もいる。
1998年10月末、シナリオの良し悪しを「批評」し公開する初めてのユーザーサイトがあらわれた。そこで基準の明確でない採点や辛辣なコメントが付けられたことなどから、1998年11月に当該サイトの掲示板で批判が行われた。しかし、応酬が3日目を迎える前に当該サイトが閉鎖することによって、さまざまに示された問題点は着地を見ないまま議論は幕を下ろした(第一次批評論争)。
書き手の総数が少なくコミュニティもなお小規模である時期においては、ごく少数の活動的なサイトの言動が過大な影響を及ぼすことがある。そうした点は、同時期(インターネット普及期)に「テキスト系サイト」で生じた「批評」をめぐる紛擾とも通じている。万人が表現者となりはじめた時代にあって、相互関係構築や行動の一定の規範となるようなノウハウが十分に蓄積されていなかったためと言えるかもしれない。
第二次批評論争
草創期のCardWirthは、「生産者」(シナリオ制作者)が好きなようにシナリオを生み出すためのツールであった。コミュニティの規模が小さい頃には、「アニキ」の流行に見られるように、「趣味を同じくする仲間うちの創作」という性格が強く、「つくる楽しさ」が追求された。しかし、この頃には「無料のゲーム」として雑誌収録されることでCardWirthが広く知られるようになり、新たなプレイヤーが流入するとともに、「プレイする楽しさ」を追求する「消費者」(プレイヤー)からの視点が強くなったと言える。
1999年春頃、THU氏が《酔生夢死》において「感想」執筆活動を開始した。しかしその内容が問題とされ1999年8月頃にCWUNなどで紛擾となった(第二次批評論争)。THU氏は問題となった箇所を改め、サイトと「感想」執筆を継続するという選択を行った。THU氏の感想執筆活動の「衝撃」は、シナリオの「消費者」視点の硬質で辛辣な「批評」(いわゆる「辛口批評」)に継続的に晒されるようになったことにある。
AgeAlliance
1999年〜2000年頃にかけて、CardWirthユーザーの裾野が拡大し、量的な全盛を迎える時期には、プレイヤーの立場でゲーム(ストーリー)を楽しむことができない作品、あるいは、そもそも通しプレイさえすれば容易に除去できるバグが残っているシナリオのように提供姿勢を疑われるような「粗悪」な作品が多かったという。また、指摘や助言に対して、過剰な反応を行う「未熟」な作者もいたという。一方で、単に自らの不快感の表現にのみ終始した、「罵倒」とも評されるような「粗悪」な「批評」をサイトにおいて公開する「未熟」な「批評」執筆者もあったという。草創期以来の「生産者中心主義」と「消費者中心主義」の間の軋轢が高まっていたと言えるかもしれない。
2000年6月、シナリオ制作者の一部で「AgeAlliance(AA)」が提起された。AAの主導者によれば、両次の「批評論争」は、欠点・改良点などを指摘すること自体がタブー視される風潮を生んだという。AAはこれを打破するためにいわば「職人主義」を導入し、シナリオ制作の向上を図ろうとする試みであった。しかしその提起を契機として、生産者中心主義と消費者中心主義、あるいはシナリオ制作者の中のさまざまな考え方が、先鋭な形で衝突することになった(AA騒動)。
草創期以来の作者の中にはこの渦中にあった者もあり、この騒動を前後してCardWirthから撤退したり、距離を置いたりするものもあった。この騒動は、「ゲーム」として拡大したCardWirthがいずれ迎えなければならなかった転機であったと言えるが、そのために残された傷痕もまた大きかった。
AA騒動以後
AA騒動以後、CWUNなどを舞台にコミュニティの広範囲を巻き込むような紛擾はあまり見られなくなった。要因としては、「批評」・感想が一般化することでむしろ相対化が進んだこと、匿名掲示板という空間の登場、「プライベートシナリオ」という方法の確立、拡大化したCWコミュニティの細分化の進行、また雑誌などに取り上げることが減ったことによる「ブーム」の終息、などが考えられる。
ただし、問題がなくなったわけではなく、潜在化しただけと言える。